BepiColomboでESAと付き合いだしておおよそ20年になります。始めた當初は打上げが2010年で水星到著が2014年の予定でしたが、検討を始めてみると想像以上に問題が発生し、その度に重量の超過、それに伴うスケジュール遅延、コスト超過を繰り返すことになりました。冗談で「私の定年とミッションの終了のどちらが先か」と言っていたのが、私が山川 宏助教授(當時。現JAXA理事長)からプロマネを引き継いだ2006年秋には、2013年打上げ、2019年到著となっており、「私の定年と軌道投入のどちらが先か」になり、最後の頃は「定年までに打ち上るか」となり、ESAのコストも當初想定のほぼ倍まで膨れ上がってしまいました。

理學委員會にBepiColomboを提案し、選定されたときに、亡くなられた小杉 健郎先生が「ESAと一緒にやるの。遅れるよ。」と仰られた言葉が何度となく身に沁みました。最終的には定年の1年半前の2018年10月に打ち上げられましたが、最初のスイングバイは定年後となってしまいました。 コスト増に伴って何度かミッションキャンセルの危機があり、特に2008年にはESAとしてミッションをキャンセルするか継続するかの投票を6月のSPC(Science Programme Committee:ESAの科學ミッションの最上位意思決定委員會)に諮るところまで行き、投票の結果はキャンセルに賛成が9票、反対は7票でした。キャンセルには3分の2以上の賛成を要するため辛うじて2票差でキャンセルは否決されましたが、打上げ後に何人かの方から「日本と組んでいなければあの時キャンセルされていた。本當に助かった」とお禮を言われるほどにぎりぎりだったようです。

BepiColomboに係っていて驚いた事は多々あるのですが特に印象に殘っている事をいくつかを紹介します。

1.國民性:日本人のイメージするイタリア人と北部イタリアの人とはかなり異なり、北部イタリアの人は勤勉。我々のイメージするドイツ人に近い気がします。なお、トリノやミラノの人に言わせるとローマは南イタリアで、ローマの人に言わせるとローマまでは北らしい。因みにドイツでも南北対立はあるらしいです。ただ、「じゃあババリアは?」と聞くと「ババリアはババリアで南でも北でも無い。」との事でした。

2.文書など:ESAは文書體系がきっちりと決まっています(最近のJAXAはESAの文書體系に似たものを目指している気がする)。ところが、実際に物作りをして行くと「ちゃんとしていたらそんな事起きないだろう」というような事が結構頻発します。我々がMMOの構造モデルをESA側に引渡し、ヨーロッパでの試験に供した時に現場の人から「君たちの文書は大変良く出來ている。現物と異なる點が殆ど無い。」とお褒めをいただいたのですが、これは喜ぶべきか悲しむべきか...。また、構造モデルが日本側に戻って來た時に一緒に付けていたログブックが全く更新されておらず、問い合わせてみたら彼らが使っている別のログブックに記載をされていると...。など、文書が「アリバイ作り」と化しているところが散見されました。JAXAが同じ轍を踏まない事を切に祈ります。

3.常識の違い:特別な事はお互いに議論をするので実際に問題となる事は少ないのですが、お互いが「常識」だと思っている事が食い違っている事があり、「えっ」となる事が何度かありました。例えば、「FMまわりで作業をするのでも要求が無ければマスクはしない。」「射場作業で使い終わった?暫く使わないGSEはクリーンルームに殘しておかずに輸送用のコンテナにしまう。」等がありました。「常識」だと思っている事も忘れずに確認をしておくのが大事です。

と、とりとめもなくいろいろ書いてきましたが、BepiColomboを通してESAだけでなく歐州のインダストリーとも大変良い関係を築く事が出來たと思っています。この絆が後続のミッションの役に立つことを祈っています。

BepiColombo計畫 日本側プロジェクトマネージャ 早川 基 (はやかわ はじめ)

2002年10月マトローダムにて。

2002年10月マトローダムにて。畫面左から小川先生、笠羽先生、山川先生。皆髪が黒々。

2019年8月WPTラッチ解除運用直後。

2019年8月WPTラッチ解除運用直後。後列右端に小川先生、右から3人目に笠羽先生。小川先生の変化に年月を感じます。

【 ISASニュース 2020年2月號(No.467) 掲載】